日本での借金に対する考え方の変化
ネガティブな印象の強い借金ですが、日本では生活を行う上での潤滑油の役目を果たしていた時代もあります。
古代・中世の頃の日本での借金の利息は、元本の2倍までと厳しく定められており、それ以上の利息をつけた場合、罪に問われていたほどです。
近世になってからは、質流れとなっても勝手に処分する事が許されず、元本を支払う事ができれば、質流れとなっても取り戻す事が可能だったのです。
このように、古代・中世・近世といった時代の日本では、借り手が手厚く保護されていたのです。
しかし、市場原理が強くなると共に、借り手に対する手厚い保護はなくなっていきました。
そのかわりに生まれたのが、貸し手を守るという、現在の日本でポピュラーな考え方です。
そんな貸し手を守るという考え方が強くなった事を表すのが、江戸時代に起こった出来事です。
現在の山形県で、借金の返済が行えず、貸し手に田畑を取られてしまった農民達がいました。
この農民達は貸し手に対して、田畑を返すよう直談判を行ったそうです。
これを徳川幕府は、現在の山形県周辺に位置する藩に出兵させて、鎮圧させたという出来事です。
この出来事は、借り手が手厚く保護されていた時代には、考えられない事と言えるでしょう。
しかし、貸し手を守るという現在の日本でのポピュラーな考え方では、決しておかしな事ではありません。
その為、この出来事以降、貸し手を守るという考え方が、日本においてポピュラーになったと言っても、過言ではないでしょう。
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